ミャウティンと庭

忙しくても楽にメンテナンス、葉も花も楽しめる庭へ試行錯誤しています。時々猫のミャウティンも。

3.11にあの日を想い、朗希君の活躍を祈る

こんにちは、まりもです。

 

今年は暖かい3月、庭のスイセンの芽も顔を出しました。

 

 

12年前の3月は、寒かった。

 

あの日14時46分、今までに経験したことのない激しい地震に襲われ、辺りは停電し、携帯電話も繋がらなくなりました。

当時子供はまだ3歳で

すぐ保育園へ迎えに行きたかったけれど、責任者である自分は医薬品を非常電源のある場所へ移動したり、パソコンや機器が使えない中での対応に追われて

やっと子供の迎えに車を走らせると、道路は信号機が止まり、渋滞した交差点では車同士がタイミングを見計らって進み、ガソリンスタンドは閉鎖される異様な状況。

保育園に着くと誰もいない。玄関に「近所の小学校に避難している」と張り紙がされていました。

ほかのお友達は皆お迎えが来て帰った後で

広くて寒い小学校の体育館に、ポツンと一人

借り物のスキーウェアの上下を着て座っていた子供の姿は今でも忘れられない。

 

それでも内陸の盛岡で命まで取られることはなかったけれど、沿岸の地域は津波によって甚大な被害を受けました。

その中でも被害が大きかったのが、侍JAPAN 佐々木朗希投手の故郷、陸前高田。

 

市街地は建物がほとんど津波で流され、医療機関も壊滅した状況の中、全国からDMAT(災害派遣医療チーム)が陸前高田へ駆けつけ医療活動を行いました。

しかしそこで問題がありました。

主に災害による急性期医療を担うDMATですが、現地では津波から逃れ、避難所に避難された被災者の方々が、普段飲んでいる慢性疾患のお薬を調達することができなかったのです。

 

そこで現地のDMATが被災者の方々から普段飲んでいる薬を聞き取りし、手書きで災害処方箋を発行して車で2時間半かけて盛岡まで運び、盛岡で避難所にいる被災者の方々のお薬を調剤して、陸前高田へ届けるという活動を行っていました。

現地で被災された方々からDMATが服用薬の聞き取りをする際、手元にお薬手帳があるか無いかで、業務の効率が大きく違いました。

 

災害医療に携わった身で思うのは、災害への備えとして

「お薬手帳を持とう!」

そして家にお薬手帳があっても、外出先から持って逃げられないこともあれば、スマホに電子お薬手帳を入れていても水没したり、停電で使えないこともあると思います。

「自分の飲んでる大事な薬は、なるべく名前を覚えておこう!」

(これは種類の多い場合、難しいかもしれませんが)

 

まだ3歳だった自分の子供は震災のことをほとんど覚えていないのですが、当時9歳、陸前高田で被災し、家族も家も、思い出の場所も失った朗希君の悲しみは計り知れない。

今晩、朗希君の活躍を盛岡から祈っています。

何よりも、前に進む朗希君自身のために

がんばれ朗希君、がんばれ侍JAPAN!!!

 

 

最後までお読みいただきありがとうございます!