ミャウティンと庭

忙しくても楽にメンテナンス、葉も花も楽しめる庭へ試行錯誤しています。時々猫のミャウティンも。

「ママ、お嬢さんはKのことが好きだったの?」時が経って『こゝろ』を再読したら

視線を感じる。

子供がチラチラと私の顔を窺っている。

心当たりがないので「どうしたの?」と尋ねると、唐突に娘の口から出てきたのは予想外の質問だった。

「ママ、お嬢さんはKのことが好きだったの?」

 

なんでも夏目漱石の『こゝろ』を読んで登場人物の相関図をレポートにまとめるのが夏休みの宿題らしい。

読み終えた所で娘のこころには色々な思いが渦巻いている様子だが、まずここがストレートな疑問のようだ。

 

『こゝろ』は自分が高校生の頃も教科書に一部が掲載されていた。

あまりに衝撃的で、すぐに母の文庫本を借りて全文読んだ記憶がある。

お嬢さんがKを好きだったと思うか…?読んだのはその一度きりで、それを判断するに足るディテールは正直覚えていない。

ならば久しぶりに夏の読書を楽しもう!という事で、近くの図書館から借りてきました。スマホで読めるよ、と言われましたが、紙の本で読みたいんです。

 

 

『こゝろ』は

上 先生と私

中 両親と私

下 先生と遺書  の三部構成

あらすじ

 上 先生と私

語り手は「私」。時は明治末期。夏休みに鎌倉由比ヶ浜に海水浴に来ていた「私」は、同じく来ていた「先生」と出会い、交流を始め、東京に帰ったあとも先生の家に出入りするようになる。先生は奥さんと静かに暮らしていた。先生は毎月、雑司ヶ谷にある友達の墓に墓参りする。先生は私に何度も謎めいた、そして教訓めいたことを言う。私は、父の病気の経過がよくないという手紙を受け取り、冬休み前に帰省する(第二十一章から二十三章)。正月すぎに東京に戻った私は、先生に過去を打ち明けるように迫る。先生は来るべきときに過去を話すことを約束した(第三十一章)。大学を卒業した私は先生の家でご馳走になったあと、帰省する。

中 両親と私

語り手は「私」。腎臓病が重かった父親はますます健康を損ない、私は東京へ帰る日を延ばした。実家に親類が集まり、父の容態がいよいよ危なくなってきたところへ、先生から分厚い手紙が届く。手紙が先生の遺書だと気づいた私は、東京行きの汽車に飛び乗った。

下 先生と遺書

「先生」の手紙。この手紙は、上第二十二章で言及されている。「先生」は両親を亡くし、遺産相続でもめたあと故郷と決別。東京で大学生活を送るため「奥さん」と「お嬢さん」の家に下宿する。友人の「K」が家族との不和で悩んでいるのを知った先生は、Kを同じ下宿に誘うが、これが大きな悲劇を生む。手紙は先生のある決意で締めくくられる。
(Wikipediaより引用)

 

あらためて読み返すと、意外と序盤が進みません(;'∀')

教科書にも載っていた 下 先生と遺書 のインパクトが強くてグイグイ引きこまれて一気読みするイメージだったのですが

読み始め 上 先生と私 では、先生と私の陰気な問答が繰り返し続くように感じて

多分結末を知っているから、これからどうなっちゃうんだろう?という純粋な興味が欠けてしまっているせいですかね。

それでも

「とにかく恋は罪悪ですよ、よござんすか。そうして神聖なものですよ」

「然し悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型に入れたような悪人は世の中にある筈がありませんよ。平生はみんな善人なんです、少くともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油断が出来ないんです」

などの先生のメッセージに、はっと高校生の頃の記憶を呼び覚まされます。

そして 中  両親と私 では

上 先生と私 のなかで

「あなたは本当に真面目なんですか」

「私は過去の因果で、人を疑りつけている。だから実はあなたも疑っている。然し何うもあなた丈は疑りたくない。あなたは疑るには余りに単純すぎる様だ。私は死ぬ前にたった一人で好いから、他を信用して死にたいと思っている。あなたは其たった一人になれますか。なって呉れますか。あなたは腹の底から真面目ですか」

先生にこう問われて真面目ですと答えた私だが、読んでいるとホントにぃ?という気分になる。

先が短い故に生きているうちに息子が無事卒業できた事を喜んでくれる父に対して

私には口で祝ってくれながら、腹の底でけなしている先生の方が、それ程にもないものを珍しそうに嬉しがる父よりも、却て高尚に見えた。私は仕舞に父の無知から出る田舎臭い所に不快を感じ出した。

とか

大学を卒業しても腰を据えて勤め口を探す様子の見られない私に対して

「実は御父さんの生きて御出のうちに、御前の口が極ったら嘸安心なさるだろうと思うんだがね。此様子じゃ、とても間に合わないかも知れないけれども、夫にしても、まだあゝ遣って口も慥なら気も慥なんだから、あゝして御出のうちに喜ばして上げるように親孝行をおしな」

と至極まっとうな願いを口にする母へも

私は始め心の中で、何も知らない母を憐れんだ。然し母が何故斯んな問題を此のざわざわした際に持ち出したのか理解出来なかった。私が父の病気を余所に、静かに坐ったり書見したりする余裕のある如くに、母も眼の前の病人を忘れて、外の事を考える丈、胸に空地があるのか知らと疑った。

とか

終いにはいよいよ死期の差し迫った父を残して先生からの手紙を持って東京行の汽車に飛び乗ってしまうのだから、

「子供に学問をさせるのも、好し悪しだね。折角修行をさせると、其子供は決して宅へ帰って来ない。是じゃ手もなく親子を隔離するために学問させるようなものだ」

「元来学校を出た以上、出たあくる日から他の世話になんぞなるものじゃないんだから」

と嘆くお父さんの気持ちもわかる。

自分は奨学金をもらって学校へ行った身だからなおさら甘っちょろく感じてしまう。

先生の過去への興味だって、ただ真面目に人生から教訓を受けたいとか言いますけれど、それが本心から出たものであっても結局はエゴ、自分の知的欲求を満たしたいだけに見える。

その結果、先生は私宛てに長い遺書を書いた

自殺の前に自分自身の過去について書きたい

しかし読めば必ず読んだ人のその後の人生が苦しくなるであろうものを

あなたが無遠慮に私の腹の中から、或生きたものを捕まえようという決心を見せたからです。私の心臓を立割って、温かく流れる血潮を啜ろうとしたからです。

(中略)

私は今自分で自分の心臓を破って、其血をあなたの顔に浴びせかけようとしているのです。私の鼓動が停った時、あなたの胸に新しい命が宿る事が出来るなら満足です。

自分が死んだあと残る遺書について先生にとって一番気がかりなのは、奥さんにこの内容が知られはしまいかという事。この点において、先生は私を信用したと言えるでしょう。

真面目に人生から教訓を受けたいと先生の過去を知りたがっても、その後を引き受ける覚悟など持って訊いてはいないと知りつつ

先生は遺書の中で「暗いものを凝と見詰めて、その中から貴方の参考になるものをお攫みなさい」と言うけれど、私にはそれができると信じて書いたのでしょうか。

「自分の生命と共に葬った方が好い」経験だけど、「あなたは真面目だから。あなたは真面目に人生から教訓を得たいと云ったから」

過去を知った後の私がどうなろうと構わないから、先生は私に遺書を残したのではないでしょうか。

 

…と内容的に 下 先生と遺書 に入ってきましたが、ここでいよいよお嬢さんとKが登場します。

さてこの本を再読したキッカケは、お嬢さんはKを好きだったのか?という子供の疑問に答えられなかった事でした。

娘いわく

「お嬢さんはオシャレして嬉しそうに先生と出かけたりするけど、Kの方がカッコいいし、Kとも二人きりで部屋の中で喋ったりしてたんでしょ?お嬢さんはその頃本当は先生とKどっちが好きだったんだろう」

その点に注意して読み進めていきます。

読んでも、確かなことはわかりません。Kが登場するあいだ、それはお嬢さんへの愛から嫉妬にかられた先生の視点で描かれているからです。

しかしKが亡くなった後、お嬢さんと結婚し夫婦となってからの記述で

妻が、何を思い出したのか、二人でKの墓参りをしようと云い出しました。私は意味もなく唯ぎょっとしました。何うしてそんな事を急に思い立ったかと聞きました。妻は二人揃って御参りをしたら、Kが嘸喜ぶだろうと云うのです。

この部分を読む限り、お嬢さんはKに恋心はなかったのだろうと感じました。

仮にKへの恋の自覚があったとするなら、親友である先生と二人で墓参りをして自殺したKが喜ぶという思考には至らないだろうと思うからです。

そうなると、先生の嫌いな笑い方をした時のお譲さんは、先生への恋心がある故に、Kさんと出かけたのが気になるんですか、フフフ、みたいな感じだったんじゃなかろうかと思うのです。

 

正々堂々と勝負していたら良かったのに。

Kに打ち明けられた後、先生が自分の気持ちも打ち明けてお嬢さんに決めてもらったら恨みっこなしだったのに。

Kは打ち明けた時点で無二の友人である先生にお嬢さんへの気持ちを肯定してもらえていれば、その後失恋したって乗り越えるだけの精神力を持ち合わせていただろうに。

「それが、いざという間際に、急に悪人に変る」恐ろしさ

エゴイズムに端を発する人のこころの罪深さなのでしょうか。

 

おそらく「こゝろ」の読書感想文一番の論点になるであろうKの自殺に至る心情などは、ここでは触れませんが

再読して感じたのは、高校生の頃読んだ感想とは違うなという事。

今回娘の疑問に答えるという視点で読んだせいもありますが、お嬢さんの恋心がどうかなんて高校生の自分は考えていたかな。考えても多分わからなかっただろうと思います。

そしてやたら「私」に腹がたちましたよ(;'∀')高校生の頃は全く感じなかったのに。

「私」の両親のほうにシンパシーを感じるあたり、自分も人の親、年を取ったという事なのでしょうね。

 

 

 

夏の終わりに「こゝろ」を再読した感想でした!

 

最後までお読みいただきありがとうございます