ミャウティンと庭

忙しくても楽にメンテナンス、葉も花も楽しめる庭へ試行錯誤しています。時々猫のミャウティンも。

悩める中学生と親世代におススメ「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」愛と覚悟を考える

こんにちは、まりもです。

 

夏休みも終盤、宿題の定番と言えば、読書感想文。

小中学生のみなさんはもう書き上げましたか?

 

去年中学生の子供が「何を読んだらいいか分からない!」と言うので、多感な時期におもしろく読めそうな本棚の3冊を紹介しました。

 

「塩狩峠」 三浦綾子 著  新潮文庫

「夏の庭」 湯本香樹実 著  新潮文庫

「夜のピクニック」 恩田陸 著  新潮文庫

 

普段はラノベを読んでいる子供、どれを選ぶかな?と思ったら意外にも手に取ったのは三浦綾子さんの「塩狩峠」でした。

明治時代を舞台に自らの命を犠牲にして大勢の乗客の命を救った青年の生涯を描いた「塩狩峠」。若い子にはとっつきにくいかと思いましたが、ひとたびページをめくればグイグイ引き込まれてしまう三浦綾子さんの小説の世界はさすがですね!

 

・・今日のおススメ本から脱線しちゃいましたね。

今年の夏も子供におすすめを聞かれたら紹介しようと、用意していたのはこちら

 

「世界ネコ歩き写真展」の入場券が可愛すぎて栞に

「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」

ブレイディみかこ著 新潮社 2019年本屋大賞受賞作

Yahoo!ニュース | 本屋大賞 ノンフィクション本大賞受賞、60万人が泣いて笑って感動した大ヒットノンフィクションが待望の文庫化!
人種も貧富の差もごちゃまぜの元底辺中学校に通い始めたぼく。人種差別丸出しの移民の子、アフリカからきたばかりの少女やジェンダーに悩むサッカー小僧……。まるで世界の縮図のようなこの学校では、いろいろあって当たり前、でも、みんなぼくの大切な友だちなんだ――。優等生のぼくとパンクな母ちゃんは、ともに考え、ともに悩み、毎日を乗り越えていく。最後はホロリと涙のこぼれる感動のリアルストーリー。

https://www.shinchosha.co.jp/book/101752/

 

中学生にとって一番の重要事って、ほぼ友達問題に尽きるんじゃないでしょうか?

著者のブレイディみかこさん(母ちゃん)とアイルランド人の配偶者さんの間に誕生した息子さんが英国ブライトンにある「元底辺中学校」に入学するところから物語は始まるのですが、自分がグッと来たエピソードを1つ紹介します。

 

中学校で制服のリサイクル活動を手伝うことになった「母ちゃん」。保護者達から寄付された中古の制服を自宅で繕うボランティアをします。繕った制服は販売会で日本円で50円、100円くらいの価格で売られるのですが、リサイクルの本来の目的は販売ではありません。経済的に困窮し制服が必要な生徒がいれば販売会を待たずに自由にあげていいことになっています。「母ちゃん」と息子さんが真っ先に思いついたのが、家が経済的に苦しい友人ティムのこと。

週末にミシンで作業していると息子が言った。

「ねえ、母ちゃんが縫ってる制服、僕が買うことは許されてるの?」

「え?でもあんた制服は全部2枚ずつ持ってるじゃん。どっかほつれてるならいま一緒に縫っちゃうから持ってきて」

「いや、僕じゃないんだ。友だちにあげたいんだけど・・・」

「・・・ティム?」

同じことを考えていたのかなと思って尋ねると息子は頷いた。

「トレーナーの肘のところが薄くなってきてて、なんかちょっと、腕が透けて見えちゃうようになったから、お兄ちゃんのお古のトレーナーを着て来るようになったんだけど、トレーナーの袖や丈が長すぎて、笑ってるやつらとかいてムカつくんだ」

「いつもそうやって必ず笑うやつらがいるんだよね」

「もしもまた学校で喧嘩とかしちゃったら、今度はティム、停学とか大変なことになっちゃうかもしれないし」

母ちゃんが繕ったティムに合いそうなサイズの制服を渡したい二人ですが、ティムにどうやって渡したらいいか悩みます。人目のある学校では渡しにくい。第一、ティムに何て切り出せばいいのか?高校時代に「母ちゃん」自身が貧乏と言ったら死ぬ、と思っていたように、ティムだって友達から制服をもらって嬉しいとは限らない。傷つけてしまう可能性もある。

とりあえず学校帰りにティムを家に連れて来たものの、突然ティムの携帯に電話が入り、従弟の面倒を見るために帰らなければならなくなってしまいます。

ティムのためにとっておいた制服は紙袋に入れてミシンの脇に置いてある。「あれー、これティムのサイズじゃん」とかいうわざとらしい芝居をする準備もまだ全くしていなかったのである。

「母ちゃん、それ」

と息子が言うので、わたしは急いで紙袋を彼に渡した。玄関のほうに歩いていくティムの後ろを袋を下げた息子が追いかけていく。

「ティム、これ持って帰る?」

息子はそう言ってティムに紙袋を差し出した。ティムは「何、これ?」と言ってそれを受け取り、中に手を入れて制服を出した。

「母ちゃんが繕ったやつ。ちょうど僕たちのサイズがあったからくすねちゃったんだけど。ティムも、いる?」

ティムはじっと息子の顔を見ていた。

「持って帰って、いいの?」

「もちろん」

「じゃあ、お金払う。だってミセス・パープルが怒るだろ。今度来るときに持ってくる」

ティムがそう言うので、わたしが脇から彼を納得させるために言った。

「気にしなくていいよ。どうせいくつ制服があるかなんて誰も数えてないんだし。それに、わたしがお直し不可能と判断した制服は捨てていいことになっているから、全然問題ない」

ティムは半信半疑というような目つきでこちらに一瞥をくれた。

「でも、どうして僕にくれるの?」

ティムは大きな緑色の瞳で息子を見ながら言った。

質問されているのは息子なのに、わたしのほうが彼の目に胸を射抜かれたような気分になって所在なく立っていると、息子が言った。

「友だちだから。君は僕の友だちだからだよ」

ティムは「サンクス」と言って紙袋の中に制服を戻し、息子とハイタッチを交わして玄関から出て行った。

「バーイ」

「バーイ。また明日、学校でね」

 

p100 「ユニフォーム・ブギ」より

 

本書では「人種の多様性」に基づいたエピソードも多く、島国日本では普段直視せずとも過ごせてしまうそういった問題について深く考えさせられます。

しかし昔だろうが今の時代だろうが、人種や家庭の経済格差がどうだろうが、大切な人との繋がりにおいて大事なことって案外何も変わらないんじゃないか?というのもまた、ストレートな感想です。

 

「でも、どうして僕にくれるの?」の問い。息子さんとティムの関係性が問われるこの場面で、親である「母ちゃん」のできることは限られています。

 

「塩狩峠」からも、担任の先生に「うそつきだ」と言われうまく弁解できなかった主人公の信夫に、父親の貞行が語りかける場面を紹介します。

「信夫。自分の心を、全部思ったとおりにあらわしたり、文に書いたりすることは、大人になってもむずかしいことだよ。しかし、口に出す以上相手にわかってもらうように話をしなければならないだろうな。わかってもらおうとする努力、勇気、それからもうひとつたいせつなものがある。何だと思う?」

「さあ」

信夫は首をかしげた。

「誠だよ。誠の心が言葉ににじみでて、顔にあらわれて人に通ずるんだね」

貞行はそういって、またしずかにうちわをつかいはじめた。

(誠の心、勇気、努力)

信夫は少しわかったような気がした。

 

「塩狩峠」 三浦綾子著 新潮文庫 p95より

 

「友だちだから。君は、僕の友だちだからだよ」

息子さんのこの言葉がティムを納得させ、二人の友情はさらに深まったのではないでしょうか。もしここに誤魔化しや、まして相手を下に見る要素が入っていたら、そこでアウトですよね。息子さんの「誠の心」が言葉ににじみでて、顔にあらわれてティムに伝わったんじゃないかな?と思うのです。

 

 

そしてもうひとつ、子供を育てる親の立場で感じたのは、まさに子育ては親の生き様を見せる事だなということ。

「さっき、すごく不快なことがあった」

わたしは手を止めて振り返った。

「どうした?」

「一緒に学校から歩いて帰って来た子が、雑貨屋でチューインガムを買うって言うから、店の外で待ってたんだ。そしたら僕の前に知らない車が停まって、窓が開いて『ファッキン・チンク』って男の人が叫んだ」

中学の制服を着ているとはいえ9歳ぐらいにしか見えない小さな子どもを相手に何を言ってるんだろうと思いながら、わたしは尋ねた。

「どんな人だった?」

「たぶん、17,18歳ぐらいかな。ジャージ着て、キャップをかぶってた」

「で、どうしたの?」

「相手の顔を見ないようにして、黙って違う方向を見ていたら、走り去っていった」

「うん。それでいい」

とわたしは言った。レイシストに向かって中指を突き立てて戦う意志を表明しましょう、と言うのは、社会運動の世界の中での話である。英国のリアルなストリートで小柄な中学生がそんなことを表明していたら、相手は車から降りてきてボコれるだけボコったに違いない。

―中略―

「だから母ちゃんもいつも違う方向を向いてたの?」

「え?」とわたしはまた振り返った。

「僕がうんと小さかった頃、『チンク』って言われるたびに、母ちゃんもそうしていたよね」

覚えていたのか、と驚いた。

 

p31~「複雑化するレイシズム」より

子供って特にピンチの時になんか、親がどんな行動をしたか?って鮮明に覚えていたりしますよね。後から子供に言われて、ああそんな事あったな、え、覚えてたの?なんてこっちが驚くくらい。

子育てって、あらためて子供に親の生きる姿を見られるところから始まるんだなと感じます。それを見て、どう受け止め実行するかは子供次第。無意識にそのまま真似ることもあるだろうし、反面教師にする場合もあるのだろうけれど。

そして学校で上演するミュージカル「アラジン」でなかなか振り付けを覚えられない黒人の少女を「ブラックのくせにダンスが下手なジャングルのモンキー」と陰口をたたきながら笑う、主役のアラジンに抜擢された美少年ダニエルについて息子さんと母ちゃんが語るシーン。

「無知なんだよ。誰かがそう言っているのを聞いて、大人はそういうことを言うんだと思って真似しているだけ」

「つまり、バカなの?」

忌々しそうに息子が言った。

「いや、頭が悪いってことと無知ってことは違うから。知らないことは、知るときが来れば、その人は無知ではなくなる」

わたしがそう言うと、息子はちょっと考えるような顔つきになり、黙って自分の部屋に入って行った。

その後、舞台でダニエルのピンチをジーニー役の息子さんが救ったことで二人の関係が変わります。

息子はポケットから携帯を出していじり始めた。

「着替えてたら、どういうわけか僕の携帯の番号まで聞いてきたよ」

「お前、教えたのか?」

「うん。教えない理由はないから。それに、無知な人には、知らせなきゃいけないことがたくさんある」

「は?」

と配偶者は訊き返したが、息子はそれには答えなかった。

ある意味おそろしいことでもあるが、プレ思春期の子どもの吸収力はスポンジのようだ。

「ダニエルと僕は、最大のエネミーになるか、親友になるかのどちらかだと思う。得意なことが似ているからね」

 

p40 「ア・ホール・ニュー・ワールド」より

 

スポンジみたいに何でも吸収する子ども達は、周りの大人が誰かをバカにしているのを敏感に感じ取るし、信頼する大人であればその意見を判断の基準にします。息子さんは母親である「母ちゃん」の考え方を、大いに自分の判断の参考にしているんですね。

そして「母ちゃん」が素敵だなあと心から思うのが、その胆のすわり具合。

息子さんの幼児時代は実習中の「母ちゃん」にかわって伝説の幼児教育者アニーが専属保育士のように面倒を見、小学校時代は牧歌的なカトリックの名門小学校が育ててくれた。それが名門カトリック中学校ではなく「元底辺中学校」に入学することになった時、「ようやくわたしの出る幕がきたのだと思った」という母ちゃん。

家族にしろ飼っているペットにしろ、大切な相手と関わるうえで一番大切なのは愛情でしょう。それは間違いないのだけど、「愛が大事」って言うのは簡単。

わたしは「あの学校に行け」と息子に言ったことは一度もなかった。

しかし、熱っぽく元底辺中学校、もとい、近所の中学校のことを話す様子を見ていると、わたしがたいへん気に入ってしまったことは明らかで、それが彼の決断に影響を与えたのは間違いない、と配偶者は言う。

 

p21 「いい子」の決断 より

 

後に見学した名門カトリック中学校についての言及

学校は社会を映す鏡なので、常に生徒たちの間に格差は存在するものだ。でも、それが拡大するままに放置されている場所にはなんというかこう、勢いがない。陰気に硬直して、新しいものや楽しいことが生まれそうな感じがしない。

それはすでに衰退がはじまっているということなんだと思う。

少なくとも、11歳の子どもがあんなシニカルなところに通う必要はない気がわたしにはしたのだ。

 

p230「クラスルームの前後格差」より

名門カトリック中学の見学会ではクラスルームの前後格差や「陰気で硬直して、シニカルなところ」と感じ、元底辺中学校の見学会では先生方のフレンドリーさや熱意、何より子供たち自身の楽しそうな様子を肌で感じた「母ちゃん」。

元底辺中学校への道を選べば、配偶者の言うように「顔が東洋人なのでいじめられる」「肉体的にいじめられたりしたら、うちの息子は特に体が小さいので悲劇的なことになりかねない」可能性もあるのに、あえてそれを選択したのは、元底辺中学校の方が息子さんと母ちゃんにとって魅力的と感じたからなのでしょうが、そこには母ちゃんの大きな愛と覚悟を感じずにはいられません。

仮に困難な問題にぶつかるとしても、息子さんの力を信じているし、母ちゃん自身が関わり知恵を出し合っていく覚悟があるからできる選択に、何とも人間的な頼もしさを感じてしまいます。

とはいえ、まるで社会の分断を写したような事件について聞かされるたび、差別や格差で複雑化したトリッキーな友人関係について相談されるたび、わたしは彼の悩みについて何の答えも持っていないことに気づかされるのだった。

―中略―

きっと息子の人生にわたしの出番がやってきたのではなく、わたしの人生に息子の出番がやってきたのだろう。

p4「はじめに」より

問題にぶちあたり考え、試行錯誤しながら進んでいく。それは中学生に限らず、大人だって人生ずっと続いていくテーマですよね。

悩める中学生と親世代、というか全ての方におススメしたい本でした!

 

 

最後までお読みいただきありがとうございます!